Show Me Love (Not A Dream)

このところself confidence、self esteemについて考えることが多い。
宇多田ヒカルの"Show Me Love (Not A Dream)"はそんな感情に引っかかってくる。

初っ端の歌詞から疑問が湧く。
         
   抑え込んだ其れは消えず
   湖の底へゆっくりとまた沈んでく
           
この部分で心が鷲掴みにされたんだよな。
引っかかったのはsound effectの方だったんだが、その後は歌詞に耳が奪われた。
     
でも一体「其れ」は何を指すのだ?
「抑え込んだ」「湖」(=意識)と云うところからして感情に類するものだろう。
    
   二兎を追う者、一兎も得ず
   矛盾に疲れて 少し心が重くなる
    
「二兎」と云うのも意味深。
次に「矛盾」という言葉で言い換えているもの。
いろんなモノが考えられる。
でも随所に出てくる「内なるパッセージ」、「夢」という言葉がキーワード。
「夢」と「現実」。
この2つが相反し、「自信を無」くし、「内なるパッセージ」を正視することができない。
     
   逃げたら余計怖くなるだけって
   (Inside my lavender dreams)
   分かってはいるつもり
          
やっぱりね、現実からの逃避、そして自分の"lavendar dream"を明言している。
"lavendar"とは何ぞや。
あとでも「紫の信号」が出てくるが、紫色の選択理由が分からぬ。
"Lavendar dream"だけなら、自分の夢の気高さなどを意味しているのか、と思うのだが、
「紫の信号」と共に何かしらmysteriousなモノを意図していそう。
(実はLavendarや紫は英語では特殊な意味もあるのだが、まさかねぇ…)
        
   心配しなくてもいつかきっと、なんて言えない
   自信の無さに甘えてちゃ見えぬ
   私の内なるパッセージ (Show me love)
   内なるパッセージ (Baby, show me love)
   It's all in my head (Can you show me love?)
   It's all in my head (Not a dream)
     
此処がサビ。
出足で「軽々しく物事を考えません」ということを宣言。
そして、「私」は「内なるパッセージ」なる「夢」をしっかり見据えようとし、
もっと「自信」を持とうと考える。
そのために、現在の「自分を認める」ことをしよう。
でもそれには「時に病んで、もがいて、叫んで叫んで、痛みの元を辿って 」いくという
自分の内面と正面切って対峙する、辛い仕事をしなければならないのだ。
それは「自分を認め」た上でようやく始まる。
これに必要な"courage"は「自分でしか自分にしてあげられない」。
       
で、ここで唐突に誰かしらの非一人称が出てくるのだ。
誰に向かって"Show me love"と言っているのだ?
この対象はどうも非人間のような気がしてならない。
此処まで、自分の内面を見つめる作業をしてきて、単純な「愛情」ではないだろう。
"It's all in my head"といっているのもそれを示唆している。
他者と感情のやり取りをしているのではない。
つまり、"love"は単なる一般的な「愛情」とイコールではない。
最後の"Not a dream"でひっくり返されるように、夢と対極のモノ。
「現実」、と言い換えられるモノ。
    
「弱い」今の自分と向き合うため、
神のような存在の者に
『シビアでもいいから、「現実」を与えて下さい』
とストイックに懇願しているように思う。
     
      紫の信号が点灯(ひか)って思考停止
      不安だけが止まらない
   
      私は弱い だけどそれは別に
      (Inside my lavender dreams)
      恥ずかしいことじゃない
    
      実際 誰しも深い闇を抱えてりゃいい
      時に病んで、もがいて、叫んで叫んで
      痛みの元を辿って (Show me love)
      元を辿って (Baby, show me love)
      It's all in my head (Can you show me love?)
      It's all in my head (Not a dream)
   
   築き上げたセオリー忘れよう
   山は登ったら降りるものよ
         
この2文が実はキーセンテンスなんだろうな、この曲の。
今までの自分を壊して、新しい自分へ向かおうとする「私」が見える。
次の「山は登ったら降りるものよ」が泣かせる。
ここには自明のセオリーがある。
「山を登り続ける」努力がもてはやされるし、
「頑張れ!」と自分に叱咤激励するのか、と思いきや、逆にそれをたしなめている。
自分の中で作り上げた非現実的な身勝手な「夢」に寄り掛かり、
それに向かって努力していくという青さと決別し、
「夢」と「現実」との擦り合わせを図ろう、と云うのだ。
      
ただ、この言葉を若い女性に言われると、とても切なくなる。
そこはかとない諦観の気持ちが見え隠れするからだ。
いろんな経験を経て見えてしまった現実。
これを受け入れなければ次に進めない。
若い人なら、もっとギラギラとした目をしてもいい、と思うが、
しかしながら、人生のどこかで必ずやこのターニング・ポイントに至る時が来る。
勿論、自分にもあった。本当に大きな転機である。
ただ、若い人がそこに至った時を見るのは少々切ない。
             
決して「夢」と決別するのではない。
ただ「夢」の形を少々修正していかねばならない、と気づくのだ。
     
   実際 どんなに深い愛も 完璧じゃない
   自分でしか自分にしてあげられない
   自分を認める courage (Show me love)
   認める courage (Baby, show me love)
     
ここで「愛」という言葉が出てくるが、この解釈は難しいなぁ。
「深い」という形容詞がついてるし、本当の「愛」なのか?
「不完全な現実」?
理不尽で矛盾に満ちた現実社会では自分自身が認めた「自己」しか頼るものはないんだ、
そういうことか、とも思う。
   
   実際 夢ばかり見ていたと気付いた時
   初めて自力で一歩踏み出す
   私の内なるパッセージ
   内なるパッセージ
   It's all in my head
   It's all in my head
    
いずれにせよ、彼女には大きな転機が訪れたようだ。
"Head(頭)"の中にある「夢」。
現実社会の中でしっかりと地に足をつけ、未来に進もうとする、
そういう決意表明のようなものが感じられる。
    
強い意志表明とちょっぴり潜む切なさ。
いい歌詞だと思う。
好きだ。