2つのトラブル

海外に住んでいると、どうしても遭遇することになる問題に、
この週末に2回出くわす。
当然今までも何度か経験しているので、
社会的にも個人的にもそれなりの対処法は分かっているつもりだった。
でも、今回は結構痛かった。
  
1回目は金曜。
職場で韓国人同僚がオランダ人を殴り組み伏せた。
自分は自分の仕事が忙しくて篭っていたので、その場には出くわしていない。
伝え聞いたところでは、エイプリル・フールのおふざけの対象になったのが
アジア人2人であったことが、彼を激昂させたらしい。
対象は彼と日本人。自分ではない。
その日本人はヘラヘラと笑い、そして事が起こるとそこから逃げた。
ちょうど逃げ行くところに自分は出会った。
   
かなり事態が深刻そうだったので、韓国人同僚をランチに誘う。
なかなか気持ちが収まらないようだったが、話して少し楽になったよう。
「これは差別だよな。
『意図的に選んだわけじゃない』と言ってたけど、それなら余計、根が深い問題だ。
ここにいると自分はいいように使われていると感じる。
みんなを助けてるけど、みんなは自分をいいように利用しているだけで、
逆に助けてくれることはない。もう帰国しようかな、とも思うんだ」、と。
  
職場に戻り、周りの欧米人からの情報を得る。彼らの理論は一様。
「あれは単なるジョーク。許容できる範囲のものだったはず。
手を出したのは韓国人。
これは論外。手を出す前にできる解決法を探るべきだった。」
   
「yasuは対象外だった。お前は真面目で、
こんなおふざけは嫌いだということをみんな知っているし、respectされてるから」、と。
この言葉にやっぱり僕も引っかかった。
基本的におふざけはアジア人を対象にしており、
今回選ばれた者はrespectされないから?
  
そんなことを考えていたら、韓国人同僚の取った態度は感心なものだと思った。
それに比して、日本人の彼は…。
確かに「君子危うきに近寄らず」、ということもあろう。
でも言わねばならないこと、正しいことをしっかり言わないのは尊敬できない。
  
韓国人同僚の取った態度の意味をもっと欧米人が知るようになれば、
きっと彼の行動は理解されるはず。
ヘラヘラと笑って修羅場を逃げ出した日本人は、論外。
 
この日本人の態度については次の問題につながる。
   
土曜日。仲のいい仲間と会った時、彼の着ているパーカーに目が止まる。
«Sea Shephard»のロゴがあり、背中には髑髏が描かれている。
どう対処していいか分からなかった。
ただ、そこから捕鯨の問題について話し合うことになる。
鯨が高等動物であること、そしてその生態が明確に分かっていないことなどが、
捕鯨反対の行動の一因。(彼は同時に象も同等の評価をしていた。)
  
こちらは、調査捕鯨は認められているはずであること、
食文化の問題について他文化の人がとやかく言うのはおかしいこと、
«Sea Shephard»の意見は聞くが採っている暴力的行動は納得できないこと、
などを言う。
   
当然、議論は平行線のまま。
ただ、最後に彼が言ったのは
「今の日本の捕鯨反対の他の理由の一つは、
『調査捕鯨です』と言いながら、それを食用に回していること。
『食用に捕鯨する』ということを明言して、
その上でしっかりと議論のテーブルにつくべきだ。
日本人は難しい問題になるとそれを避けたがる。」
   
ここで前件の「ヘラヘラと笑って修羅場を逃げ出す日本人」につながる。
厄介な問題が浮上するとそれを避ける。
嵐が自然と過ぎるのを待つ。
この態度が異文化圏の人をイラつかせる。 
  
今回の2つの件は、自分の中でも収まりがついていない。
考えると、胸が苦しくなる…。