Colleague

柳田先生がブログに書いておられる。
        
「基礎科学を充分やれる国力のない国のわかものは国を出て世界どこでも機会のあるところに行くのです。科学を世界市民としてやろうとするのなら、まず機会を与えてくれる場所、国に行かざるを得ないのです。今年のノーベル賞の根岸さんが身をもって示しています。同時にかれが愛国者というか愛郷者であることも、はっきりしています。祖国への愛情が彼を50年間研究に邁進できた理由なのでしょう。かれほどえらくならなくても、国で機会をえられなかった若者たちはみな外国で基礎研究に従事するのです。」(2010年12月16日)
        
科学を生業としている者として、「世界市民」という感覚は意識せずに持ってしまっている。
別に日本に拘わらない。
自分の場合、ちょっとした資格の問題で日本に戻ることを考えてしまうだけだ。
     
有り体にいうと、「国境は存在しない」。
だから、少し前に各国の学力レベルの発表(PISA)があり、
今年は上海がトップで日本は何位だ、とかいうのは、
多分我々の世界では誰も興味を持っていない。
立っている場所が元々違っている。
学問に関しては、地理的な「国家」に帰属している意識が稀薄で、
他国の「同業者」、「同類」、colleagueとの結びつきの方が濃厚であるためだ。
だから祖国であっても機会がないと判断すれば、できる場所へ移るのは厭わない。
英語が下手でも、仲間うちの言葉・概念がしっかり分かればそれで何とかなるし。
      
個人のレベルでは、それでいいのだと思う。
ただ、その人だけでなく、その人が育んだであろう次世代の創造の機会を減らし、
ひいては将来的な文化的資産の減少というリスクを地理的「国家」は背負わなければならない。
これは地理的「国家」を自分の帰属場所と考えている人々にとっては忌々しき問題のはず。
      
これは、最近の日本を見ていて残念に思う点。
そして、こんな事を書いているのは、やっぱり自分が日本を好きだからなんだけど。