この曲は初めは嫌いだった。
宇多田ヒカルにしてはジャパネスクを全面に打ち出しているし、
SAKURAドロップス、って飴の商品名に引っ掛けたタイトルをつけてるし、
気に食わなかった。
  
でも、彼女自身が面白いだろうと思ったであろうトリックに気がついてから、
確実に振り子は反対に振れた。
 
好きで好きでどうしようもない
それとこれとは関係ない
 
歌詞自体は何でも無い。
メロディーもこれといって目新しくない。
でもこれをバックコーラスとしてあてがった時、
全てがピタッと嵌った感じがする。
 
彼女はこれを見つけて、多分一人ほくそ笑えんだやろな、
そう思うとこちらもにやけてくる。
 
モノを作ること、実験する事、何が自分を駆り立てているか。
物事がある局面でピタッと当てはまる時の悦楽、快感。
そして、顔も会わせたこともない、会わせることもない次世代へのささやかな贈り物。
これらがモチベーションの一部になっている。
 
やったことの無い人には単なる自己満足、
マスターベーション的な意味しか無かろう。
でもやったことのある人なら、分かるはず。
  
今年もよく桜が咲いている。ここLausanneでも八重桜が満開。
そして、もう一部は散ってしまった。
 
去年は大好きだった叔父が亡くなり、
そして今年は大地震・原発問題、と哀しい季節になっている。
 
桜は、だから、嫌いだ。
ただ、その潔さだけは自分としては失いたくない。
 
ヤルだけのことはやって、後のことは考えない。
自分にはまだできない。
結果を自己評価する自分が居て、打ち切ることができない。

我が身を捨てて打ち切る。
これが自分の課題。
 
野たれ死んでもいいではないか。
何を期待しているのだ?
 
人間なんて、人生なんて、とっても小さいもの。
その中で思い悩むことなんて、自然の摂理からすれば、取るにたらない。
自分の思いなんて、単に自然や神の掌の中で転がされているモノに過ぎない。
 
じゃぁ、何を恐れる?