Boys, Be Ambitious!

William S. Clarkの言葉はとても有名。
「少年よ、大志を抱け」という非常に簡単明快な言葉。
しかし、恥ずかしながら今日の今日まで、それに続く文を読んだことがなかった。
具体的内容がその後に示されていたのである。
         
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
         
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
     
日本語にするのは意外に難しい。
特に2文目のところなど、英語の方がスッキリしている。
自分の日本語の語彙不足の問題だけなのだろうけれど。
       
最初の文と後の文に於いて、
目的としてはいけないもの、目的とすべきものを対比して描いているが、
その具体性のレベルが明らかに異なっており、ここにも対比が見られる。
「金銭」「虚栄心」「名声」などという世俗的なものを求めるな、というのは
誰もが納得する一般的によく聞く言葉。
しかして、"all that a man ought to be"とは果たして何なのか?
    
実はここにこそ彼の言葉の真髄がある。
求むべき大志、自分がなすべき大志はいろいろあって然るべき。
自分自身でそれをしかと熟考せよ、いうのが彼の主張ではなかったか。
                
よく見ると「人」の捉え方が1文目と2文目で異なっているように見える。
確かに"a man"というのも "men" 同様に「人間全般」を指しているとも解釈できるが、
僕は "men" と "a man"は意図的に対句として用いられたと考えたい。
全体と個。これも一つの対比。
この二つの文章の間で、人類全体から個人へと移る視点の動きが見られると思うのだ。
         
「求むべき大志」「なすべき大志」を彼は明確に示していない。
直接的で具体的な「否」の事象は明示しているにも関わらず、
「可」となる事象については漠然とした言に留めている。
万人に当てはまる正答などないからだ。
個々人がその人生を通して探求していくべきものなのであろう。
     
「少年よ、大志を抱け」
単純だと思っていた言葉がにわかに混沌とした言葉へと転じた。
       
      

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考えがまとまらない。
文言が堂々巡りになっている。
多分何度か推敲しないといけないが、今はまずこのままで。