大善小善

金曜の昼に日本のある人と電話会談。
急遽セッティングされたもので、今まで2,3度しか話したことのない相手。
自分の態度が欧米化されている、というような非難めいた口調から始まる。
こっちも頭に血がのぼる。誤解だ。
いいかげんな情報、中途半端な情報しかよこさないから、
メールで直接本人に問いかけたのだったが、それが気に障ったようだ。
でも手持ちのカードが不足した状態でどう判断すればよいのだ。
                       
そこからは自分の考えを素直に述べた。
ある1つの事は詳らかにしなかったが、ほぼ腹を割って話した。
彼の口調も落ち着いてきた。
手持ちのカードは不足したままの状態が続く。やっぱり判断が難しい。
                          
今の俺には組織への「忠」よりも友人への「義」の方が大切に見える。
ただ、そこから導き出される結論は「愚かな決断」である。
他の人から見てもそう見えるだろう。
頭では分かるのだ、愚かだと。
でも俺の心は、逆の決断を良しとしない。
                   
彼は最後には俺の考えが日本人メンタリティに根差しているものと認めたが、
最終結論は先送りとなった。
そして「大善」を考慮した結論を示唆された。
「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」
しかしだ。
彼の望む結論は組織にとっての「小善」になるかもしれないではないか。
「小善」、「大善」、これらも絶対的なものではない。
視点を変えると真逆になり得るのだ。
               
まだ暫し考える時間を与えられたことに感謝する一方、
詰将棋の如く詰まれていく状況に胃が痛む。