体罰

今、2つの事を考えている。
その一つが「体罰」。
大阪の桜宮高校で「体罰」を苦に自殺が起こった。
その後の聞き取りで、当該の教師は「体罰は必要」と述べたとのこと。
 
自分もこの事件までは体罰は時には必要、と考えていた。
今の教育体制は子供に気を遣い過ぎだ、と思うから。
 
で、ちょっと考えてみた。
 
「体罰」で教師は何を期待するのか。
 
「体罰」は何か不備が起こった事に対する処罰。
それを「身体」の「痛み」として認識、自覚させることが「体罰」かと思う。
「体罰」受けた生徒はどう思うのか。
「あの痛みを二度と受けたくない」。
そう思って、努力する。
 
成功すれば「体罰」から免れる。
失敗すれば「体罰」が繰り返される。
その論法。
 
こう思った時に、自分の頭をよぎったのは「サーカスの熊」。
鞭打たれ、曲芸を覚える。
 
そう、生徒は単なる「動物」としての扱いなのだ。
 
泣きながら、手を上げて叱った昔の親、先生がいた。
何でもに体罰を与えていた訳ではない。
よっぽどの極限までいろいろと教育・指導したにも拘らず、
その効果が得られず、やむを得ず、手を上げた。
ただ、彼らには「手を上げてしまった」という自責の念があったのではなかろうか。
 
今回の件はこれとは全く異なる。
連日のように習慣化していた「体罰」。
顔が腫れ上がるほどの「体罰」。
これを「教育」範疇内に入れていいものか。
単なる暴力・暴行にすぎない。
 
「体育会系」という言葉で、全てのバンカラな行いが許される訳ではない。
この教師は、暴行以外の方策を個人個人に対してどの位試したのだろうか?
 
資質の無い教師の暴行にいじめられた生徒の死、という構図しか見えない。